あなたは変人ですか?
現代の日本において、この質問にYESと答える人は圧倒的に少ないでしょう。
私は普通です。僕は皆と同じです!
しかし、ここで冷静に考えてみましょう。「皆と同じ」「私は普通」という人が圧倒的に多い社会の方が逆に明らかにおかしな状態ではないでしょうか?
多くの才能豊かな人々が、「社会的な」「一般的な」「普通は」という「見えない檻」にがんじがらめにされ、持てる才能をなかなか発揮できない現状があります。
しかし、これからの時代はまさに「変なヤツ」こそが社会を創っていく時代であり、そんな人材こそ心の底から楽しめる幸せな人生を歩むことができるでしょう。
ほとんどの人々が、自分に対して無意識に制限をかけ、なんとなく「社会に適応」しています。「空気を読む」なんていう言葉も登場するような時代ですから、その強さは相当なもの。
しかし、本当に楽しい人生、社会を作るには「空気を読む」のではなく「空気を作る」人が増えていくような未来です。
本来、人間はそれぞれ独自の創造的なアイデンティティを持っています。今回はそんな「変人」に「戻る」ために必要なワークを3つご紹介します。
人と比較することを辞める
まず現代で一番多い現象が、「誰か」と比べて自分を蔑んだり、自分への評価(エフィカシー)を落としたりしてしまう人が非常に多いという問題です。
あの人は良い学校を出て、いい企業に勤めているあの人はいつも成績優秀で、皆に尊敬されている
この思考はどこからやってくるのでしょうか?本当に誰かと比較する人生は、自分自身にとって幸せなのでしょうか?
メディアや世間は基本的に「ランキング」するのが大好きな影響が非常に大きいのです。社会的な基準や評価をランキング付けしているのは、「自分以外の誰か」であり、それを受け入れてしまっているのも「自分自身」です。
しかもその「謎のランキング」を「社会の常識」にまで押し上げて、人を品定めするような風潮があります。誰かが作ったランキングにランクインできれば喜んで、ランクインできなければ「自分はダメだ」なんて、冷静に考えればバカげています。
自分の才能を開花させたいと考えた時、そんな「謎のランキング社会」から一歩出てしまえばいいのです。
給与がいい待遇がいい家柄がいい
本来、私たち人間はそれぞれ誰もが、比べることのできない、計り知れない大きな価値を持っています。「謎のランキング社会」はそんな人間をとんでもなく小さなカテゴリの中で「品定め」するための、誰かが作った基準でしかありません。
そんな意味のないランキング社会から一歩抜け出し、単純に自分のwant to(〜したい)を大切に生きていくことこそ、本当の意味で才能を開花させる大きなきっかけとなります。
競争社会への勝負を辞める
これからの競争社会を勝ち抜かなくては!競争に勝つことができれば幸せになれる
これも、私たちが社会に「思わされている」可能性のある「謎の競争社会至上主義」なのではないでしょうか?
まるでゼロサムゲームのように勝てば幸せになれて、負ければ全てを失う・・・。そんなふうに、私たちは無意識のうちに思わされてはいないでしょうか?
結局「自分より劣っている人」を見ると安心したり、「自分より優秀な人」を見ると嫉妬をしたりする。
しかしそれは、「競争」とはなにか?「勝負」とはなにか?をきちんと吟味してみることで、「競争社会」で勝ち続けることの無意味さを理解できるでしょう。
まず絶対的な事実として「死ぬまで勝ち続ける人はいない」ということです。そう考えると、「勝ち=幸せ」な競争社会では全員が不幸になってしまいますね。
本来の勝負とは「負け」があるからこそ、楽しいのです。「勝ち」も「負け」もあるからこそ、「勝負を楽しむ」ことができるわけであって、「勝負」や「競争」など、ただの娯楽なのです。
前回はこういう展開で負けたから、次はこうしよう!今回は練習の成果が出て、勝ちパターンに引き込めたな!相手は前回とは違う勝負の仕方をしてきたぞ!これは面白い!
そんなふうに、「勝負」のなかで様々なことを考えたり、感じたりすることが本来の「競争」や「勝負」の楽しさであり、「勝たなければ不幸になるもの」ではないとわかるはずです。
だからこそ、「勝負の楽しさ」と「謎の競争社会」をごちゃ混ぜにしてしまうと、「負け=不幸」というふうスコトーマ(心理的盲点)がかかってしまいます。
負けがあるからこそ、楽しい!競争や勝負はそうやって楽しむもの。
むしろ「競争社会」で勝ち続けることのなかに、幸せはあり得ないと知っていることが重要です。であれば、そんな「意味の無い競争」に大切な時間を使うのではなく、そのステージから飛び出し、自分のwant to(〜したい)に向けて人生時間を使っていけばいいだけです。
「他人の目」は自分が作っている
こんなことをしたら、こう思われるな・・・誰かにこう思われたらどうしよう・・・
そんな風に考えて、自分の好きなことに一歩が踏み出せない方も多い現状があります。一見「他人の目」を気にしているように見えますが、「他人の目」という存在を作っているのは他人ではなく「自分自身」であると知ることが大切です。
自分は他人の目にはこんなふうに映っているんだろうな・・・
と予測した自分の姿を自分自身だと思い込み、その「自分自身」を忠実に生きようとしてしまう。要は自分が作り出した「虚像」にがんじがらめにされてしまうケースがあります。
これほどナンセンスなことはありません。「私はこう見られている」と勝手に作った虚像なのに、それをちょっとでも外れるようなことは取り組めない・・・。心からの行動が取れない・・・。しかし一方で、社会の中では「相手にどう思われる」かを考えることが良いこととされる。これは社会的な洗脳だと言ってもいい過ぎではありません。
まずもって、他人があなたをどう見ているかなんてわかりませんし、ほとんど「気にしちゃいない」場合が圧倒的に多いでしょう。人はさほど真剣に他人のことについて考えたりしていません。
ぜひ以上の3つをまずは意識に挙げ、「辞めてみる」ことで見えてくる世界が変わってきます。様々なスコトーマ(心理的盲点)が外れ、今まで認識できなかった様々な情報にアクセスできるようになるでしょう!
<まとめ>
・人との比較を辞める
・競争社会の勝利に幸せはないと知る
・他人の目は実は自分が作り出している虚像である。