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僕が甲子園出場を決めて心の底で思ったこと


映画「ブラフマン」を知ってる人は少ないかもしれない。いや、少ないと思う。
 
僕の好きなパンクロックバンド「BRAHMAN」の最初で最後のドキュメンタリー映画。
 
本編はほとんどインタビューだけ。別に、取り立てて何か起こる訳でもなく、BRAHMANのこれまでのストーリーを、そのまま記録したもの。映画というよりも記録。記録というよりも、記憶の断片を、本人達が語るツギハギだらけの映像。
 
そして僕は、この映画が好きだ。
 
この映画を撮ったのは箭内さんという有名な人。クリエイティブディレクターというなんともカッコいい肩書きが眩しい。
 
でもその手腕は見事だった。今の「BRAHMAN」を、なんの味付けもスパイスもなしに、ただ、白日の下に晒した箭内さんの思い切りの良さと潔さが、BRAHMANをそのまま映し出していたと思う。
 
まあ、「お前どこまでBRAHMAN知ってんだ」って言われたら、「そんなに知らねえけど好きなんだよ!」ってな具合だけど。
 
普通、「クリエイティブディレクター」なんて肩書きがついているのなら、なんだかぐちゃぐちゃと、こねくり回したくなるものだと思う。クリエイティブをディレクトしたくなると思う。
 
だけど、箭内さんはそうはしなかった。誤解を恐れずに言えばなんもしてない。ノープランで、ただ、色々と話聞いてみようみたいなスタンスなんだと思う。(めちゃ失礼)
 
でも、BRAHMANていう存在を前にして、なんかクリエイティブっぽい、ウソっぽいことって、確かにできないなって。箭内さんホント、正直な人なんだなって。尊敬した。
 
クリエイティブってほら、突き詰めると「ウソ」だと思う。どれだけ感動する映画だって、フィクションであればウソだし、でもウソであれなんであれ、面白くて感動しちゃえばなんでもいいわけだし。
 
「こうするのが、BRAHMANの良さが一番伝わるから」ていうなんともシンプルすぎる理由は、こっちが拍子抜けする程に爽快で、箭内さんの狙いは、まさに美しく実現されたと思う。
 
BRAHMANを好きになる人は、あの4人が好きなのだ。
 
声が良い。曲が良い。メロディーが。ベースが。ギターが。世界観が・・・。
 
世の中の音楽を見れば、その音楽を好きになる理由なんていくらでも上げることができる。自分が音楽を奏でて、人の心を動かそうとしない限り、いつまでも専門家でいられる。
 
でもBRAHMANには、そういう机上の空論みたいな退屈なものは通じない。能書きを垂れ始めれば最後、きっとToshi-lowさん(Vo.)に、蹴りを入れられて終わりなのだろう。僕はBRAHMANは好きだけれど、痛いのは嫌いだ。
 
BRAHMANというバンドを好きな人々はきっと、箭内さんが描いた「あいつら」が好きなんだろうと思う。
 
そして誰よりも、箭内さんその人が、誰よりも「あいつら」のことを愛しているんだと思う。
 
「あの店のあの店主が、好きなんだよね」
 
行きつけの居酒屋なんかで感じる、あの感覚。
 
「あいつらだから」好き。
 
そして僕が、その中で印象に残ったのは、Toshi-lowさんのインタビューの一節にある。
 
 
 
いわゆる世の中的な絶頂っていうか。
Air JAMがあって、
スタジアムの真ん中で歌って
何万人もの前で歌った時に
すごい、後悔したっつうか、
全然・・・自分を認めるって
こういうことじゃねえなあって。
自分でこう、
あれオレ、こんなために
泣いたり喚いたりして
自分はドコいんだ、自分はなんなんだって
言ってきたのかなって、
思ったのね。
あーでもねえこーでもねえって
のたうち回って上がってきたのが
ここだったんなら全然違うなって。
 
 
Toshi-lowさんと比べるわけではないけれど、僕も同じような気持ちを抱いたことがある。
 
それは僕が、高校球児だった頃。
 
僕らは「甲子園」の奴隷だったし、そのためなら全てを掛けるっていう青春をやってたわけだけど。
 
甲子園が決まってしまった瞬間に、純粋に感じたのはなんていうか、「喜び」というよりかは「安堵」みたいなものでしかなくて。
 
「あぁ、やっと終わった」みたいな感覚。
 
周りはどう感じていたか分からないけれど、どこかでそんな気持ちになった自分に戸惑いながら、監督と握手したことを今でも憶えてる。
 
いや普通に、死ぬ程嬉しいはずだって思ってたし。マジでもうどうにかなっちゃうんじゃねえかって、想像してたけど、全然違った。
 
いや、そんなはずないじゃんって、やってみた。甲子園の1回戦。
 
試合前のシートノックの時、ノックが終わって、僕は独りだけ、ホームベースの上に立って、ぐるーっと、甲子園を見渡したわけ。
 
嬉しさを感じたいというか、感動したいというか。全てを掛けて目指して来たはずの場所に今立ってるのに、なんでこんなに冷静なんだって。オレオカシくなったのかなって。
 
そんでぐるーって見渡してみても、別に何も感じなかった。ああ、こんなもんなのかって。誤解を恐れずに言えば、なんか、甲子園にガッカリしたというか。
 
続くToshi-lowさんの話で、その意味が分かったような気がする。
 
震災2日後くらいかな。
作りかけのスタジオでさ
鳴らしたんだよね。音。
練習しよっつって。
どうしていいかわかんないから。とりあえず。
 
そんでその鳴らした時の音が、
一番始め、バンドやったときの
「ハッ」っていう・・・。
 
ビックリするくらい。
大きい音で。
心にドンって来たのね。
 
あの頃と同じ衝撃を受けたんだよね。
そんときに
あーバンドやっててよかったって。
思ったんだよね。
やっぱこれやりてえって。
オレ、これやりてえんじゃんって。
 
野球を始めたのは別に、甲子園に行きたいからでも、どこかに名を残したいからでも、誰かに褒められたいからでもなくて、ただ、仲間と一緒に泣いたり笑ったり、どうやったら勝てるかって皆で考えて、そんで勝つ!みたいな。
 
上手くいかないプレーどうやったら上手く行くのかって考えて、自分なりに練習して、手応えがでてきて、だけど試合じゃやっぱり失敗して。そうやって、ちょっとずつ、成長していくみたいな感覚。
 
別に誰かに言われたからとか、やらなきゃいけないとかっていうことじゃなくて。自分の感覚の中で、納得できるものをやってみたいっていうか。そういうことを、たまたま僕らは野球を通じてやりたかったんだって。Toshi-lowさんのこの正直で真っ直ぐなインタビューを聞いて、そんな風に思った。
 
それって、大人的に言えば、「自分の幸せをちゃんと定義する」っていうことだと思う。
 
自分は、こうしたいんだ!っていうもの。こうしたら嬉しいんだって言うものが、僕らの社会には準備されすぎてる。
 
「こうなれば幸せになれます」というものが準備されて、消費されて、でもそれは結局、誰かに準備された「幸せ」っていうラベルの付いた商品でしかない。
 
だからこそ、自分の感覚を大切にして、自分の幸せは誰かとは違うんだって言うことを知って、自分の幸せはこれだっていうものをきちんと定義すること。
 
誰かの決めた「幸せ」の奴隷になるんじゃなくて、自分の決めた「幸せ」に忠実に生きること。
 
ブラフマンの映画を見て、ふとそんなことを思った。
 
 

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