Blog

釈迦とキリストが私たちに伝えたかったこと〜自帰依自灯明〜


私たちはほとんどの場合、物理空間の臨場感に圧倒され、身動きが取れなくなります。それは思考停止という形となって私たちの存在を猿やゴリラとほぼ同じような機能にまで貶めてしまうようなインパクトがあります。経営者であれリーダーであれ個人であれ、それは変わりません。
 
私たちは常になにを拠り所に、何を支えに暗闇を進めば良いのでしょうか?私たちに残されたものはなにもないのでしょうか?
 
私たち人間の人生が、一つの物語だとしたら。あるいは一つの英雄伝説だとしたら。私たちの拠り所は「自らのゴール」のみに集約されるかと思います。
 
海賊王になるため、巨人を討伐するため、ポケモンゲットのために全てを捧げる英雄たちのように、私たちにもゴールがあり、そのゴールこそが私たちを定義し、私たち自身であるのではないかと考えます。
 
それが釈迦の言う「自帰依自灯明」なのだと思います。自らのゴールを拠り所とし、時に立ち返り、そして自らこそが拠り所であると悟った時に、初めて人は救われるのだと思います。
 
出来の悪いコンサルタントと呼ばれるフリーライダーたちがコゾッて取りかかるのは過去の最適化であり効率化であり分かりやすく言えばリストラであると思います。日本経済がそれを証明している以上、その方法論に明日はなく、狭くて薄暗い需要という檻の中で、素手で雲を掴むようにもがき苦しむしかないのではないかと思います。
 
さらにコンサルタントに、もし良い方法論を授けられたとしても、その情報は迫り来る賞味期限との闘いであり、応急処置の人工呼吸のように見えます。
 
過去の最適化は過去の抽象度に縛られることを意味し、過去の抽象度の低さのなかでいくらあがいても、いたちごっこであることは明白です。そんな企業とコンサルを見たとき、我らのスーパースターであるアインシュタインの言葉を思い出します。
 
 ーーいかなる問題も、それをつくりだしたときと同じ意識によって解決することはできない。ーー
アルバート・アインシュタイン
 
問題が起きた抽象度の中で、いくらその問題を解決しようとあがいても、その問題の根本は解決に至らないということです。それはある意味で、抽象思考により自らの抽象度を上げ、現在の系を超えていくことで初めて問題自体を俯瞰してみることができるということであり、抽象思考とは分かりやすくいえば情報空間の操作であり、要はゴール設定であると考えます。
 
優秀なコンサルやコーチは必ずGoal Drivenであると感じます。ピンチはチャンスであり、変革のときだからこそ、新たにゴールを定め、そこを拠り所として抽象度を上げ、脳内の全ての重要度関数を書き換えた抽象度の高さから、方策や戦略を練るのです。
 
それはある意味で、その企業や個人の「世界観」の構築の根本から変える物である可能性すらあります。それを変えるのはもちろんコンサルやコーチではなく、その人であり経営者である個人によるものです。
 
それでもゴールが描けなければ、企業であれ個人であれ「死」あるのみであるとつくづく感じます。その作業は痛みを伴うとともに、多くを捨て去らなければならないからです。自らのチンケなプライドや謎めいた拘りなどがそうであるとしたら、ゴールを描くこととその価値のないどちらかを冷静に選択すべきかと思います。
 
ーー何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと…大事なものを捨てることができる人だーー
アルミン・アルレルト(進撃の巨人より引用)
 
イエス・キリストは我々にこう語りかけます。
 
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(引用終了)マタイ6:25-34
 
明日のことを思い煩うとは、目の前に見える問題であり、私たちは時に、その問題を解決しようと躍起になります。
 
しかしイエスは「思い煩うな」と我々を諭します。そのような時こそ「神の国と神の義」に立ち返れと言います。現代の我々の解釈からすればそれは「ゴール」のことかと思います。目の前に見える様々な問題に思い煩うことなく、つねに拠り所を「ゴール」におき、それを求めよといいます。
 
私たちがすべきことはシンプルです。それは「ゴール」に拠り所を置くことです。誰でもない、自らの心から涌き上がる心から強烈なゴールです。それさえあれば、それらは全て添えて与えられるとイエスは説きます。それが脳の仕組みであり、認識したもの、意識に上がったものは、コントロールすることができるということです。それをイエスは「神」と呼び、同時に「ロゴス」と呼んだのであろうと思います。
 
 

【DAISUKEKOIDE.COM】メルマガ

A

 

企業経営者、起業希望者、スポーツ関係者を中心に多くの読者を持つメールマガジン【DAISUKEKOIDE.COM】は、ブログの内容をより深く吟味し、コーチングをDNAに刻み込むことを狙うメールコーチングです。次世代を背負うリーダーに読んでもらいたいコンテンツを配信致します。ご登録頂きますと、これまでのテキスト、動画による膨大な量のコンテンツの全てをご覧頂けます。


無料登録する