Blog

TOYOTAはイチローを「好き」になるだけで、宇宙を代表するリーディングカンパニーになる。〜続・テレビを見てはいけない〜


「イチローが嫌いだ」というCMはテレビ、ネット問わず話題となっていますが、個人的にイチローは好きです。というよりも問題に感じるのは、TOYOTAがそのような企業メッセージを出すのが「?」といった感覚です。
 
[iframe id=”https://www.youtube.com/embed/2-_qOaGUYx8″ align=”center” mode=”normal” maxwidth=”720″]
 
認知科学や機能脳科学などの観点から見れば、CMとは企業アファメーションです。誰に訴えかけるかと言えばそれは顧客だけではなく、抽象度を上げれば顧客を含めた「自分自身」です。ここで言えば「TOYOTA自身」です。無意識はアファメーションをそっくりそのまま受け止めます。
 
少なく見積もっても日本のリーディングカンパニーであるTOYOTAが「イチローが嫌い」なほどエフィカシーが低いのは問題です。むしろ大好きであるべきですし、ウソでもそのように振る舞うべきです。振る舞っていれば、そのうち本当になるのは認知科学の視点から見ても妥当です。
 
もちろんこのCMは広告代理店に丸投げなのでしょうが、丸投げされた広告代理店もある種の「バズ」を狙ったようなトリッキーなキャッチコピーに頼り切りの抽象度の低さが露呈しており、企業の損失であることに全く気がついていないのならお話しにならないように思います。
 
TOYOTAのような「横綱」が、広告においてトリッキーなことをする必要が一体どこにあるというのでしょうか?それよりも、堂々としたメッセージを堂々と、一切外連味なく世の中に対して提示することが、横綱の使命であり格好良さであるように思います。白鳳は横綱相撲を取り、舞の海が技のデパートでありトリックスターであるからこそいいのであって、白鳳が技のデパートをしてしまえば、格好良さは半減です。
 
日本のリーディングカンパニーとしての企業メッセージが「イチローが嫌い」なのであればそれはかなりまずいことです。もちろん「裏にメッセージ性があるんだ」といった平べったい議論もあるかと思いますが、人間の無意識はそのように作用してくれないことを知れば、このCMがいかにマズいか理解出来ると思います。
 
「真っ赤でジューシーで、甘くて美味しい蜜の詰まったリンゴを思い浮かべないでください」
 
といってもつい思い浮かべてしまうのが人間です。それが脳の仕組みです。であれば、TOYOTAは莫大な広告費を払って「イチローが嫌い」な宇宙を創造していることに他ならないことに気がつくべきです。
 
苫米地先生の言う「テレビは見てはいけない!」の一言に尽きるのではないかと思います。自分たちと顧客両方のエフィカシーを下げてまで車を売ろうとするTOYOTAに何を期待すれば良いのか、今のところ何も見つけられません。
 
そしてこのような広告を作ってしまうアートディレクターの抽象度の低さと、それに対してやすやすとOKを出してしまうTOYOTA担当者の「奴隷マインド」は現代日本の象徴であるようにも思います。そしてそのような抽象度の低いものが人々に「TOYOTAからのメッセージ」として発信されてしまうということが、どれほどまでに社会的損失なのかを理解すべきかと思います。
 
 
 
イチローが嫌いだ。
あの人を見ていると限界という言葉が言い訳みたいに聞こえるから。
 
イチローが嫌いだ。
あの人を見ていると自分に嘘がつけなくなるから。
 
イチローが嫌いだ。
あの人を見ていると努力すら楽しまなきゃいけない気がするから
 
イチローが嫌いだ。
あの人を見ているとどんな逆風もチャンスに見えてくるから
 
でも同じ人間のはずだ。
 
 
とんでもないメッセージのように思います。「限界」という言葉は言い訳みたいに聞こえるというよりは、苫米地理論からかいま見ればそれはサイバーホメオスタシス仮説に置ける現状維持であり、そのまま「言い訳」ですし、「自分に嘘がつけなくなる」のがイヤなのであれば、それはきっと良い車など作れないでしょうし、「努力」を楽しめないのであれば、それはきっとHave toに乗っ取られた奴隷なのでしょうし、「逆風がチャンスに見えてくる」のがイヤなのであれば、風に負けてしまうだけの話のように思います。
 
「でも同じ人間のはずだ」とは、なんだかそこまでのコンテキストをちゃぶ台返ししているように見えますが、そのアファメーションを唱えてしまっている時点で、その言葉がマントラのごとく人間の無意識に書き込まれてしまうということを知るべきです。
 
言葉とはロゴスであるとは我らのスーパースター「イエス・キリスト」の言葉であり、我々は「言葉」によって全てのものが出来ている。もっといえば「情報」によってこの世は存在していると理解しています。
 
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
(ヨハネ福音書より引用)
 
イエスは言葉は「神」であるといい、ここでいう「神」とはアルゴリズムであり、そのアルゴリズムは人間の潜在意識であり無意識、カーネマンでいうところのSysytem1に「そっくりそのまま」書き込まれてしまうということです。
 
問題なのは、日本企業のリーダー的存在である「TOYOTA」がそのような弱気な言葉を無意識に使ってはダメということです。その言葉は「神」なのだとすれば、そのような企業に本当になってしまいますということです。そしてそのCMを見てしまう我々のような一般顧客にも、その「神」は小さな種となって脳内に埋め込まれます。それはやがて花開き、本当に「イチローが嫌い」なマインドになってしまうということです。
 
ではどのように改変すべきでしょう?少しばかり手を加えれば、素晴らしいCMに変貌することがお分かり頂けると思います。
 
 
イチローが好きだ。
あの人を見ていると、もっと先に、もっと高く跳べると気がつくから。
 
イチローが好きだ。
あの人を見ていると、ただ思うまま、真っ直ぐに進めばいいのだと気がつくから。
 
イチローが好きだ。
あの人を見ていると、努力とは楽しいものなのだと教えてくれるから。
 
イチローが好きだ。
あの人を見ていると、どんな逆風もチャンスに見えてくるから。
 
そうだ。
同じ人間だ。
素晴らしい車を、今日も作ろう。
 
TOYOTAはイチローを「好き」になるだけで、さらに素晴らしい企業になってしまいそうな気がします。上のメッセージを見れば、さらに僕たちの想像を遥かに超えるような夢を見せてくれそうです。空飛ぶ車や、自家用宇宙船なんて夢のようです。我々の脳はゴールがあるから突き進むのであって、誰かを嫌いだから突き進むのではありません。
 
広告とはなにかと考えた時に、端的に言えば「商品を売るため」の「サブリミナル」であり「洗脳」であることと思います。しかし抽象度の高い広告マンは、広告とは「洗脳」であることをしっかりと理解した上で、広告を「啓蒙」に使います。啓蒙とは、分かりやすく言えば、人々の人生を良くする為の「誓い」であり、「アファメーション」であり「セルフトーク」であるということです。
 
個人的には、毎日嬉々としてユンケルを飲んでユンケルのCMに出るイチロー選手が好きです。(僕はユンケルは飲みませんがw)CMとは商品の良さを知らしめるものなのであれば、イチロー選手がユンケルを飲んでユンケルのCMに出ているのであればそれは素晴らしいことです。(本当に飲んでいるかどうかは、定かではありませんが!)
 
[iframe id=”https://www.youtube.com/embed/EbS-moB-DwY” align=”center” mode=”normal” maxwidth=”720″] 
 
個人的にはこちらのCMの方が、なんだか好きです。実際にユンケルの効能のことは知りませんし、わかりませんが、イチロー選手がユンケルのCMで、ご自身のwant toである野球の視点から、楽しい雰囲気で「現状の外」に挑戦する様は、「ユンケルを飲んで、自分も楽しく挑戦しよう!」というメッセージを顧客が受け取り、それで本当にユンケルを飲んで、顧客が自らのゴールに向かって突き進めるような状態になれるのならば、それは素晴らしいことだと思います。
 
テレビやメディアと相対するとき、そのような視点は重要なように思います。意識に上げるとはRゆらぎであり、Rをゆらがせることができれば、書き換えが可能だからです。平たく言えば、脳みそを乗っ取られずに済むということです。
 
私たちは生きている間に、様々な情報が無意識に埋め込まれ続けていることに気がつくことで、それを「自ら」書き換えることができます。それがCoachingのコアの部分であり、「自分の人生を生きる」ということのように思います。
 
1day デ・プログラミングコーチング
~コーチングの成果をより研ぎ澄ませ、実りあるものにするために~
 
詳細はこちら
 
価  格 250000→169800(モニター価格)
定  員 若干名
応募資格 メルマガ読者
日  時 応相談
場  所 広島県内(受講者のみにお伝え致します)
準  備 動きやすい服装、筆記用具
応募期限 若干名に達し次第終了