平凡は妙手に勝る
僕自身が師と仰ぐ先生から教えていただいた言葉です^^
この言葉は、将棋の十五世名人、大山康晴さんのお言葉だそうです。
とてもいい言葉ですね^^
多くの情報を包摂した、非常に抽象度が高く、味わい深い言葉だと思います^^
勝負の世界で(ビジネスでもスポーツでも)生きていれば、その中で生き残りたいと切に願う時、抽象度の階段を登っていくことになります。
将棋という熾烈なゼロサムゲームの世界の中で、命をかけた勝負を心から楽しむ者たちが紡ぐ言葉には力がありますね^^
僕らは普段生きていれば、ついつい平凡であることが不安になったり、もっと良い方法が、もっと良い一発逆転術があるのではないか?と目移りしてしまいます。
しかし、非凡な結果なり、成果というのは、ある意味で「平凡」の積み重ねの中にしかないというようなパラドックスが、この世界のアルゴリズムなのかもしれません^^
イチロー選手なども、同じような表現を使っていますね^^
小さな一歩の積み重ねによってしか、遠くへ行くことはできない。
我らの株屋さんウォーレン・バフェットも、「スノーボール」の中でそのように語ります。
並外れたことをしなくても、並外れた業績を達成することは出来る。
ただ一つ気をつけたいのは、「日々の生活」は平凡で凡庸だということです。
彼らの脳内(情報空間)にあるゴールは、途轍もなく高いところに位置しています。
途轍も無いゴールから丁寧に逆算していけば、足元に残るのは、とても平凡で凡庸なTaskだという視点は重要です。
目の前の自分の一つ一つが、未来に広がる心から欲するゴールに繋がっているという感覚は重要です。
その平凡で凡庸なアルゴリズムを走らせていくこと。そして、そのアルゴリズムはゴールというゲシュタルトのホメオスタシスによって、自動補正を繰り返し、精度と鋭さを増していきます。
その自動補正は、楽しい作業です^^
ニーチェの言葉通りですね^^
天賦の才能について、持って生まれた資質について話すのはやめてくれ!わずかな才能しか持たなかった偉大な人間はたくさんいる。彼らは偉大さを獲得し、『天才』(いわゆる)になったのだ。実体を知らない人々が褒めそやす資質を欠いていたからこそ。いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。フリードリッヒ・ニーチェ
華やかな全体像をではなく、あまり重要には見えない、重要とは思えないようなもの。
しかし、なぜかその「重要ではないもの」に駆り立てられ、重要とは思えないようなものに、思わず手を動かしてしまっているうちに、気づくと偉大な天才になっていた人たちを「天才」とニーチェが定義しているところは、これまたとても味わい深いです^^
そして、そんな意識状態ってまさに「コーチング」的だと思いますし、逆に言えば、人間という生物の自然な営みだと思います^^
我々も、自分を駆りたててくれるような途方もない偉大なゴールを描きましょう!
それこそが、自分を駆動してくれるたった一つの方法です^^
そんな風に自分を駆動させていきたい!というかたは、こちらで力になりますよ^^